
私は、特定の宗教を信じてはいません。
クリスチャンの高校に行きましたが、聖書の時間が嫌いでした。
人間の罪のことばかり話すので退屈だなと思っていました。
積極的考えの力 ノーマン・V・ピールの本を読みましたが、
聖書から多く引用されています。
マーフィーシリーズも聖書の新しい解釈が多く書かれています。
イエス・キリストが十字架に架けられたとき、イエスは
「神よ彼らを救いたもう。彼らは何をしているのか分からないのです」
という言葉が有名ですが、私はこれがよく分かりませんでした。
「積極的考えの力」の中で、
嫌いな人やあなたを冷遇した人のために祈りなさい。
恨みの思いは、信仰の力を封鎖する第一の障害だ。
という文があります。
キリスト教では、右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ
などの一見するとサディストのような考え方のように思われがちですが、
私もそう感じていました。
嫌いな人やあなたを冷遇した人というのは、あなたを嫌いでそうしている。
という単純な見方ではいけないということだと感じました。
人を何らかの方法で傷つけようとする人は、実は弱みを持っている人なのです。
あなたを攻撃することで、自分の弱さを隠そうとしている何らかの弱みを持っている。と考えていいでしょう。
ですから、嫌いな人やあなたを冷遇した人のために祈ることは、その原因を考えることにもなるということです。
誰もが祈っています。祈ったことのない人はいません。嫌いな人やあなたを冷遇した人も祈っています。
毎日、数分を確保して、その時間には、何も言わず、ただ神を思いなさい。こうすることによって、あなたの心は精神的なことを受け入れやすくなる。
私は、神はキリストでも、釈迦でも、神道でもなんでもいいと思います。
私は、この地球を創造した無限なる一つの大きな力を神と思っています。
祈りは潜在意識を通じて、嫌いな人やあなたを冷遇した人にも祈りが通じて必ず人間関係も上手くいくようになるでしょう。